2023年12月9日(土)。
昨日のイラスト。
海と言えば、海の幸。海の幸と言えば、お寿司。お寿司と言えば、祖母。
こんな順に浮かぶ。私は父方の祖母と一緒に暮らしていた。
子供の頃のお寿司は高級品の記憶で、お客様がいらっしゃる時にだけ出前を取った。
そういう時しか、いわゆる生魚のにぎり寿司を食べる機会は無かった。
出前の範囲内にお寿司屋さんは一店舗しかなく、いつもそのお店のおそらく特上?寿司だったのだと思う。
私達3姉妹もお客様と一緒に食べる時や、たまたま出前を取る時間帯に家に居る時はラッキーで、お寿司を食べることができた。
当時の私はいくらが1番好きだった。いくらも高級品だったので、その出前お寿司か、お正月にしか食べる機会が無かった。
お寿司の出前を取ると、いくらが食べられる!!
しかも・・・なんと祖母はいくらが大の苦手で、毎回私にくれるのだ!!
姉たちは食が細かったので、いくらの取り合いにはならず、必ず私が2貫いくらを食べられるという最高の日だった。
いくらが大好き過ぎて、2貫とも最後まで残してゆっくり食べていた。
祖母がいくらを苦手な事を心からラッキーと感じていたのを覚えている。
祖母と食つながりで・・・祖母は必ず月に一度だけ、帝国劇場にお芝居を観にお出かけしていた。
お土産は毎回必ず同じもので、帝国劇場で販売している小さいミックスサンドイッチと明治アーモンドチョコレートだった。それも、毎月のスペシャルで楽しみだった。
その頃の我が家のおやつと言えば、五家宝とお煎餅と寒天ゼリーなどが定番だった。
アーモンドチョコレートの味はもちろん!手にとってもくっつかないツルツルピカピカの外側、アーモンド丸ごとガリッの食感も衝撃だった。
ミックスサンドイッチの軽くてフカフカしっとりとしたパンに、少なめの優しい味付けの具材がマッチ。一口サイズで洒落た小箱に、お手拭き付きで入っていた。
紙のお手拭きすら、ありがたかった記憶。
子供の頃の幸せな体験として、珍しくて貴重な食べ物のイメージも消えていない。
未だにお寿司なら、回転寿司でも、ロピアのほぼ具寿司でも、何でもワクワク。
そして、明治アーモンドチョコレートを見かける度に。コンビニで一口サイズのサンドイッチに出会った時に、美味しく幸せだった記憶がよみがえる。
食を含めた過去の体験で、私達は作られている。
おまけで記しておきたい事。
時代と共に食文化も猛スピードで変化した。現代は、自分では作れないようなお惣菜を買って家で食べる事ができるし、手軽~貴重な幅広い外食産業の発展も素晴らしい。
私の母は、6人分の食事を毎日毎回作るのは大変だったと思う。
だからだろう、定番がくるくる回っていた。茶碗蒸しは週2ペース。毎週日曜夜は鍋。けんちん汁も週1で必ず。おかずのメインは焼き魚・煮魚。副菜は少なめ野菜とがんもどきの煮物。おでんはおかずで白飯と。おいなりさんの時はおいなりさんと紅しょうがだけ。お赤飯の時はお赤飯がメインでみそ汁と。
後から聞いてわかったのは、祖母と父の好みで作っていたそうだ。
子供の私には物足りなかったし、友達の家の洋食メニューなどを聞くと羨ましかった。
友達の家に遊びに行って、生まれて初めて食べた焼きたてのマドレーヌは忘れられない。友達のお母さんの手作りで衝撃だった。
けど・・・普段がそういう家庭の食事だったからこそ、たまに食べられるお寿司やお菓子・サンドイッチなどに感動できた事も大いにありそうだ。
今となっては、物足りなかった事や、定番メニューも笑い話しになっているし、全てが家族の良い想い出だ。
今の健康体があるのは母の食育のおかげだし。ありがとう。
現代は食スタイルも選択肢が沢山あり、色々な想い出が作れそう。
食事は大切だし、永遠の想い出に残る。食の内容も、食事の場面も。
大人になった娘はどういう事が食の想い出になっているのかな。訊いてみようと思う。
これからも、いろんな食の時間を楽しもう。作って・買って・外食して・・・。
何十年ぶりに明治アーモンドチョコレート買ってみようかな★★★
昨夕は渡り鳥の群団が何グループも通過していった。
一番大群だったグループの写真。