お母さん、お誕生日おめでとう!

9月26日 母の誕生日です

母は本日、86歳。

認知症でホームにお世話になっている。

70歳頃に検査を受け、アルツハイマー認知症と診断。

 

元々おっとり穏やかで誰にでも合わせられる可愛い性格。

おっちょこちょいな面があったので、忘れ物が少し増えてきても、病気は疑わなかった。

わたしは結婚後もちょくちょく会いに行っていたが、ある頃話の内容が変化した。

それまでは聞いたことがない、対人関係マイナスの心配事やお金の心配など。

 

他にも。何が食べたいか訊かれ、ちょっと前まで作ってくれていた料理をリクエストしても、「最近作ってないから忘れちゃったわ~。」と、他の料理が出てくるように。

ある日、「引き出しにしまった現金がなくなった!」と大騒ぎ。「絶対にここにしかしまわない」の一点張り。

試しに母の定位置の座布団をどけると、現金の入った封筒が。。。

「全く覚えがないから、誰が移したのかしら?」と。

 

間もなくして、認知症を半ば確信した出来事が。

母は都会育ち。都内の土地勘があり、電車の乗り継ぎもお手のものだったはずが、、、

ある日親戚のふ報連絡で慌てて都内のよく知る場所へ向かった。

駅名はもちろん、行き先の名称も覚えていたし、メモにも記してあったのに、、、

「どうしても行き先に辿り着けなかった」と。タクシーに乗って帰ってきた。

「何だったのか?自分がおかしいのかしら?」と言われた時に、、、

もしかして。。。調べた。

 

認知症の記憶は水玉模様。初期は特に、水玉で隠れている部分の記憶がないらしい。

でも数分後には、水玉の場所が変わるらしく、いわゆるまだらというものらしい。

姉たちと相談して、認知症外来に連れて行く事に決めた。

(ちなみに、父にも相談したが事実を受け止められなかった。)

病院に連れて行こうと決めたものの、さてどうやって検査を受けさせるか。

母自身違和感はあっても落ち着いている時は、自分は健康でどこも悪くないと思っていた。

そこで、「最近は若年層の認知症が流行っているから、私が検査受けたいので、せっかくなのでお母さんも一緒に受けよう。」と誘った。

母は素直に寄り添ってくれる性格だったので了承してくれた。

 

検査結果。案の定、アルツハイマー認知症の入り口だった。通院する事に。

明るく面白い担当医師だったので、医師に会うのを楽しみに通院は嫌がらなかった。

素直に「先生の言う通りに薬を飲めばまだまだ全然大丈夫よね?」という初期の日々。

 

しばらくは薬にも助けられていたのか?進行はスローだった。

しかし致し方ないが、近年ではスピードアップを感じている。

 

認知症を発症してからのこの15~6年、母の環境は激変している。

50年近く住み慣れた森の中の広い一軒家から、駅近新築マンションへの転居。

父は一日置きに透析に通うように。

幸い父の頭は超がつく程しっかりしていた。

母は姿勢良く、足腰しっかり、走れるほど。身体は健康そのものだった。

父と母はお互いの足りない部分を補い合いながらの生活だった。

父の透析のない日は、父の運転で外出。自然を見に行ったり、外食や買い物も楽しんでいた。

母が料理をする際には、父が傍らに立って指導や見守りもしていた。

二人仲良く朗らかに暮らしていたが、母の症状が色濃く出てきた。

 

父からの電話が。

「透析から帰宅したら、お母さんがいない。近所を探しても見つからない。」と。

急いで駆けつけて警察に連絡。捜索願。

警察、家族みんなで探すが全く見つからない。時間だけが過ぎていく。

外は真っ暗。肌寒い日。21時迄捜索してくれたが、てがかりも全くなし。

夜中にどこかの親切な人に保護されるかもと励まされ。。。

家族で絶望感、、、すると、、、22時過ぎて突然、、、母が一人で帰宅。

驚きとほっとした喜びは忘れられない。

どこで何をしてきたか尋ねても、「用事でちょっとそこまで行ってきたのよ。」

「みんな遊びに来てたのね~。」
長い時間、10時間以上、、、どこで何をしてきたか、全くわからない。。。

ポケットから一枚、切符は出てきた。電車に乗ったのかな?

この事件を機に、父が透析の日は、姉妹交代で母と一緒に過ごすことに。

 

歳月は流れ、今から五年前に父は風邪をこじらせて亡くなってしまった。

母は父が死んだという意味を理解したのは、遺体のお清めの数分間だけだった。

死んでしまった事実を受け入れた一瞬だけは、「お父さん死んじゃったのね。私一人になっちゃったわ。」と語ったのはその一度きり。

その後は葬儀中も父の葬儀とは理解できず、「あの人の名前、お父さんと同じね。」「お父さん、一人でどこに出かけちゃったのかしら?」と毎日言っていた。

 

しばらく数か月は、わたしの家族が母と暮らしていた。

姉たちがリフレッシュ休暇もくれた。

みな仕事や家族がある為、これからどうする事がベストかを相談。

姉妹、家族、地域包括支援センターの方々、ケアマネージャーさん、母の担当医師。

結果、良いホームを探してお世話になる事に決めた。

医師からのアドバイスが決め手に。

「ご主人が全てで生きてきたお母さんは、ご主人が亡くなってしまった事で、症状の悪化は避けられないと思います。徘徊の症状も出ているので、24時間家族だけで見ていくのには限界があります。いずれホームへと考えているのならば、今から良いホームを探してあげた方が良いのではないでしょうか。」とのお言葉。

決断した。

 

症状の悪化に伴い、今のホームは2つ目。

今のホームは温かい雰囲気で、きめ細やかなサポート、こまめな報告ももちろん。

母のベストな状況を第一に考えてくださり、そしてわたし達家族の気持ちにも寄り添ってくださる。

とても良い環境に、心の底から深く感謝している。

 

最近の母は、すこぶる調子の良い瞬間には夫がいたことを思い出せる。

父の写真を見せて「この人はだれ?」と尋ねると、「主人よ」と。

しかし、大概は「この人は誰だったかなあ?わからなくなっちゃった。」との応え。

母は二十代に若返っている時間が多く、娘が3人いる事を話しても「へー。そうなのー。」っと他人事。(笑)

わたし達に、「あなたたちが良い方達だから、来てくださって嬉しいわ!楽しい!ありがとう!」と言って、ずっと笑ってくれる。

入居者の皆様やスタッフの皆様達のことも、「ここに住んでる人たちも皆さん優しい!」と。「ご飯もいろんなのが出て美味しくて!」と毎回言っている。
ホーム全ての万全のサポートが伝わってくる。感謝しかない!!

 

わたし達娘のことを、もう誰かわかっていないけど、全然ショックではない。

母が一日でも長く笑顔で生活してくれたらハッピー!!

わたしが一緒に過ごせる時間も、母に沢山笑って貰えるように頑張るのみ!

何より母の優しい笑顔からエネルギーを貰っている♫

 

症状の悪化と共に足腰もバランス感覚も悪くなって、、、心配は尽きないが。。。
なるべく沢山一緒に楽しむ!!

 

86歳、本当におめでとう!!

 

本日の写真撮影

本日描いたイラスト。 お母さん、お誕生日おめでとう。

数年前のお母さん

本日の朝焼け空

ドット絵 2作品目

過去に描いたイラスト